アコーディオン彷徨レポート
2007/6/13 - 2007/6/19

今年もドイツで一週間程の本業の仕事を終えて、Frankfurt空港に取引先と社員を見送ったのは6月13日(水)の昼を回った時間だった。 18日(月)には、このFrankfurt空港から帰国の途に着く予定だが、それまでの5日間は私の自由時間、イタリアのCastelfidardoをめざすアコーディオン彷徨の始まりだ。 とはいえ、まだ、列車でいくのか、飛行機で行くのか、車でいくのか何も決めていないといういつもどおりのアドリブ人生。 その日の天気と気分で決める。 楽をしようと思えば、また、時間を有効に使おうと思えば、飛行機でまっすぐAnconaまで入りたいが、列車ののんびりした旅も捨てがたい。 いっそのことレンタカーならどこにでも道草ができるぞ、と言う声も聞こえるが、いかんせん片道1200kmに、昨晩の打ち上げのワインの過剰摂取がかなり残っていて、気分がよくないどころか、足元がおぼつかない。 そんなときに車で運転するなんて自殺行為だ。 という理性の声に耳を傾けていれば、私の人生もおそらくもう少しまっすぐで、もうすこし普通の人生だったと思うのです。 天邪鬼というのか、わがままというのか、向こう見ずというのか、馬鹿というのか、結論的には、ふらふらしながらレンタカーの申し込みの行列に並んでいた私。 申し込みの時に見せるパスポートと免許証はいいんですが、アルコール検査があったらまず失格だったと思われます。 手続きも最終段階になったところで、アナウンスがあり、警官も出動して人々を空港ビルの屋外に誘導している。 誘導というより、追い立てるという感じだったのは、どうも、爆弾テロの予告があったらしい。 それで、また一時間手続きがおくれ、時計は午後2時半を回っていた。 これからほんとに1200km走るのか? 
それでも、ルノーのCLIO、5段マニュアル変速、もちろん左ハンドル、でドイツのアウトバーンをぶっとばすおじさんがいました。 お〜、時速190kmでている、でも眠い。 ほぼ5〜10kmごとに休憩しながらなので、なかなか先に進まない。 わざわざつけてもらったカーナビの操作がいまいち良くわからない。
 それでもお天気は蒸し暑いぐらいで気温は30度を超えていた。 眠気と戦いながらもFrankfurt、Wuerzburg、Muenchenと400km走ったところで高速道路の大渋滞。 それでもMuenchenを越えるあたりから雲間に隠れるアルプスに近づく。 次第に天候は曇りから、雨に変わり、夕暮れ時のアルプスの峠越えは神経を使う。 

Insubruckに入り、再度の峠越えとなる。 Brenner峠を越えれば南チロル、イタリアだ。 Brenner峠を越えて、北イタリアの南チロルの村に着いたときは日もとっぷりと暮れていた。 暮らしぶりはドイツ・オーストリア風なのに、話す言葉がイタリア語なのがなんともエキゾチックな村の人々。  翌14日は朝からアルプスを一気に下る。 周りは豊かなアルプスの扇状地で果樹園が広がる。 心なしか空も明るい。 一気に南斜面を下り降りる100kmを越すダウンヒルコースだ。 アルプスは壮大だ。 

平野に下りて、しばらく行けばBolognaだ。 そこからRiminiを経て、Anconaに向かう海岸線はいつでも穏やかな遠浅のアドリア海の海岸線が続く。 
2日目の14日(木)も600km走行して午後3時にやっとCastelfidardoのホテルに到着した。 ここまでの走行距離は1200kmだ。 到着してすぐにまずは、Brandoni社を訪問し、社長と奥さんに発注してあったアコの様子を見せてもらう。 オールウッド仕上げののKing Line Cassotto Woodの高級モデル、All WoodのSuper Musette、ほかボタンアコ2台が美しい。 Brandoni社の仕上げ、調律、製造の丁寧さはすでにユーザーの高い評価を受けている。 同社の経営方針も大量生産ではなく、高品質、高性能、ユーザー重視の方針で、これが成功の秘訣のようだ。 日本のアコ市場向けにもまさにふさわしい経営体質であるといえる。 実際に、作ってもらったアコの調律はぴか一だといつもは辛口の友人も絶賛しているほどだ。 ご注目いただきたいのは、ボタンアコの内側の弁の開閉メカのヒンジがちゃんと外側についていて、弁の開閉が白鍵・黒鍵ともに同じ角度で開閉するようにできていることだ。 すばらしい気配りだ。 高級アコとはこういう設計のアコをだといいたい。 


その後、一度は訪問してみたかったVictoria社に社長を訪ねた。 同社についてはこれまでヴィクトリア・ジャパンが総代理店として販売に当たってきたが、6月末で弊店との案内もだされていたので、 同社の今後の方針についても知りたいと思ったからだ。 当面、調律士の寺堀春奈さんがショップを出して業務を引き継ぐとの案内をいただいていたが、Victoriaとしても当面そのラインで今後も日本向けは、やっていきたいとの意向だった。 小生からは、もし小生が手伝えることがあれば協力する、日本のアコ文化を広めたいと伝えて握手して別れた。 その後、夕方になり、もう一社、設立して間もないSiwa & Figli社を訪問した。 同社の社長は旧ユーゴスラビアのセルビアの出身で当時はセルビアでアコーディオンを製造していたが、収まらない戦渦と分断された国歌に将来を悲観して家族もろともイタリアに移民した。 その後、Scandalliを製造する現Suoni社(旧Mengini社)で3年、Borsini社で3年勤務したあと、昨年独立して工房を開いたばかりだ。 今はすべてを一人で作るまさにアコの工房だ。 ただ、Scandalli、Borsiniにて経験をつんだ腕前は確かだ。 すでに仕入れてある2台のアコはいずれも好評だ。 セルビア語とイタリア語しか離せないお父さんの通訳兼秘書はまだ女学生である若いお嬢さんだが、このうら若き女学生はセルビア語、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語を話し、今年の秋には北京に渡り2ヶ月で中国語をマスターするとのことだ。 生まれながらの才能もあるだろうし、本人の興味の高さもあるだろう、隣国にもろもろの言葉を話す民族がいることも影響があるだろう。 ただ、年齢は聞かなかったが、まだせいぜい高校生の年齢でここまで多国籍言語をマスターし、父親の仕事を手伝いながら学業もこなすというのは並なずれたMotivationが必要なはずだ。 小国としての運命に翻弄された一家の長女としての立場が大きく影響しているものであろう。 その立派さに感服するとともにおもわず感動して目頭が熱くなった。 ところで、2ヶ月も不在で、言葉の通じない父親一人で大丈夫なのかときいたら、小学校6年生の妹がいるから大丈夫だ、彼女は英語がわかる、とのことで、小生はしばしあっけに取られてしまった。  工房ではすべてが手作りだ。 ゼロからはじめたばかりで、決して近代的な設備のととのった工場ではない。 しかし、その娘のパッションのもとはこの父親のアコへのパッションと生存への強い意志と家族愛だろうと思い、彼の作るアコは信頼ができると思った。 早速、追加発注をすると約束してきた。 ところで、彼らが夕食にと誘ってくれたのはCastelfidardoの丘を下って、アドリア海沿いまで12km走ったNomanaというリゾート地で、そこでご馳走してくれたシーフッド、パスタに地元のワインの炭酸水割りがなんともおいしく、この実直で、一生懸命な家族との食事は心温まるものだった。
あけて15日(金)、朝一番でホテルに出迎えてくれたのは大手アコメーカーBorsini社のBorsini社長だ。 ご高齢にもめげず相変わらずの伊達男ぶりだ。 彼から、今日は工房に行く必要があるかどうかと聴かれたので、いや、あなたに会うのが目的ですと答えると、それはよかった、それでは、海岸に行こうというので、また12km丘をくだってアドリア海沿いの保養地Shiroloで気持ちのよいアドリア海の海風に吹かれながら冷たい飲み物をご馳走になって、実に気持ちよく話をすることができた。 気分はアドリア海沿いの保養地でのバカンスだ。 しかし、よく考えてみれば、実にそのとおりなのだ。 アドリア海沿いの保養地で、休暇をとって、趣味のアコの話を、それも有名アコメーカーの社長としているのだ。 こんな幸せな瞬間はそうあるもんではありません。 あ〜、いい気持ちだった。 そこでは、最近出荷してもらったBorsini Super Star 2000 GoldとHigh End Converter Modelの輸入に関しての話だった。 7月にはこの最高級アコが到着予定です。 ご期待ください。 

さて、11時でアドリア海沿いの保養地でのアコ談義を終え、11時半にホテルまで乗せていってもらった。 彼は別の来客と昼食をとることになっているといっていた。 さて、僕は次の訪問先はBugariだと伝えると、わざわざBugariの工場までの道案内までしてくれた。 イタリアのアコ産業ではやはりライバル意識が強く、ほかのアコメーカーのことはあまりよく言わないばかりか、案内をするなどは例外的だ。 おかげでそのあと自分の車でBugari社まで間違いなく行くことができた。 Bugari社を訪問したのは、実はZero Sette社に会いにくるためだったのです。 ちょっとわかりにくいので説明しますと、昨年来Bugari Armando社とZero Sette社は資本統合に向けてずっと話し合いを続けてきて、ここにきてやっと正式に発表になったというわけです。 僕のレポートにも、本件につき、すでに知っていてもこれまで書けなかったのは両社への守秘義務があったからです。 現在ではBugariの大工場のなかにZero Sette社が移り住んできている状態ですが、近々再度Bugari社の敷地内にZero Sette社の独自の製造ラインができる予定だ。 資本は一緒でもやはり製品の独自性をKeepしたいということらしい。 これにより、Zero Sette社はかつてのOEM客先のGiulietti社向けビジネスがなくなった今でも製品の開発製造を続けていけるめどが立ったことになる。 また、Bugari社としても若い経営陣が加わったことで、さらにダイナミックなビジネスを展開する見込みだ。 これはBuariユーザーにとっては朗報のはずだ。 また、GiuliettiファンおよびまだGiuliettiを知らない人にZero Setteアコを紹介するのも非常に楽しみだ。 Bugariは軽量化を目指して技術革新に熱心だ。 Zero Setteは完成されたアコを今後とも品質を変えずに製造していくことが当面の方針だ。 Zero Sette社との面談のあとは、Bugari Armando社とも面談し、状況説明や製品の紹介を受けた。 新型の小型3リードマシンの紹介を受けたので、その場で発注した。 7月中旬入荷予定。 軽くていいアコをお探しの方は必見です。
さて、Zero Sette社長と同社のスペインの代理店の社長とご一緒の昼食となり、Castelfidardoのアコメーカーが集う食堂に出かけた。 なんとそこでは、朝一緒だったBorsini社長と別の来客が昼食中だった。 狭い店内ではお互い隠れようも無く、あとはユーモアとジョークできりぬけをはかるものらしい。 Borsini社長がZero Sette社長と食事をしている小生に向かって、先ほどは100台のアコの注文ありがとう、などと真顔で言えば、Zero Sette社長もこれに冗談で対抗するといった具合だ。 このようにCastelfidardoのアコメーカーたちは互いに牽制しあい、競争しあいながら、人間的関係はしっかり保っているという間柄のようで、日本の状況とはかなりことなる。 Zero Sette社のスペインの輸入代理店の若い社長は当初スペインに代理店を設定すべく出張したZero Sette社長の目にはいかにも脆弱に見えた。 Shopも無く、あるのは小さなライトバンが一台あるだけ。 ほかの業者はもっとりっぱなShopを持っていた。 ところが、Zero Sette社はこの小さなトラック1台の青年に賭けた。 その結果が、毎年600台以上のDiatonicアコを販売する優秀な代理店に育ったとのこと。 Zero Sette社の求めるDealerの資質はとたずねれば、臆することなく「それはアコへのPassionだ」との回答がきた。 それだな! と小生も膝をたたいた。
さて、楽しい食事も終わり、Zero Setteの工場に帰る前に、おいしい自家製アイスクリームを食べさせる店があるとのことで、そこにZero Sette社長、スペインの代理店社長と小生で出かけた。 確かにおいしい。 ここのアイスはすべて自家製だとのことだった。
 
それよりも面白かったのは、そこではやはり昼食後に甘いものかエスプレッソを求めてVictoriaの社長が来ていたことだ。 もっとも、このお店はVictoriaの工房から歩いて100mほどの場所にあり、ここで彼にあうのは偶然とはいいがたいかもしれない。 ただ、行く先々で知った顔に合う、このCastelfidardoはもはや知らない街とはいいがたい。 いずれにせよ、昼は3時間とるのだ。 3時前には会社は始まらない。 いかに厳しい人生でも、食事を抜いたり、休憩をとらずにがむしゃらにというか盲目に仕事をするという発想は無い、というか、頑固に拒否するという姿勢がすばらしい。 再度Bugari社の工場までもどり、Bugari社の社長代行と話をしたい。 と思って、車を出発させれば、これを追い越していく車がある。 なんと、Bugari社の社長代行だ。 もう、この街は、ほとんど私の町です。 Bugari社との話を終えて、新モデルを注文し、そこを出たのは午後も遅い3時半過ぎだった。 そのあたりから、ぼんやりと頭のどこかにあったSloveniaに行きたいという考えがよりはっきりしてきた。 直線でFrankfurtへ帰るには2日間で再度1200km走らなければならない。 今日は15日(金)。 明日16日(土)早朝に当地を発ち、Muenchenで一泊、17日(日)にFrankfurtへ到着していないと18日(月)発のフライトに間に合わない。 いま、Sloveniaなどに寄り道すれば大変なことになるぞ、とZero Sette社長からも忠告を受けた。 それで、普通の良識ある人は、まずFrankfurtに向けてハンドルを切ることになるわけですが、そこが天邪鬼の私は、さあ、いくぞ、Sloveniaということになってしまうのです。 といっても、Sloveniaの地図はない、Hotelも予約できていない、道もわからない、カーナビもSloveniaのデータは無い、金曜日の午後は帰宅ラッシュで高速道路は超過密。 Ancona、Rimini、Bolognaときたら、アルプス方面に向かわず、Padova、Venezia、Trieste方面にハンドルをとうとう切っちゃったのは、午後6時をまわっていた。 そのころから一転にわかに掻き曇り、行く手に立ち込める暗雲からは地上に落雷の稲妻が怪しく光り、雨は土砂降りで、車軸を流さんばかり。 ワイパーも役立たない。 それが一時もとまらない。 イタリアの東のはずれTriesteに到着したのは午後11時を回っていた。 

さて、どうやってSloveniaに行くのか? ガソリンスタンドできいたりして、やってまいりました、Slovenia! Slovenia領に入ると道はすぐに山道になる。 雨はまだひどく、それにくわえて、山間の谷間から濃い霧が山姥の髪の毛のように伸び出てくる。 その中に突入すると、まるで、ミルクのなかに落ちたような錯覚をおぼえるほど、前が見えない。 そこを現地の人は相変わらず高速でぶっ飛ばしている。 こちらは左右に曲がる高速道路の右や左に見え隠れする谷底に落ちる恐怖におびえながら、他の車のテールランプを頼りに神経の休まらないドライブが続く。 80km前後でSloveniaの首都のLjubuljanaに到着。 雨は相変わらず土砂降り。 ホテルを見つけて部屋があるかどうか聞くものの、金曜日の夜はどこも満員。 ずぶぬれになりながら、なんとか町外れのホテルを見つけて投宿したのは午前2時だった。 さあ、明日は朝早くおきて、Frankfurtに帰るぞと、自分に言い聞かせてベットに入ったのは朝の3時近かった。 今日も走行距離はやはり600kmだった。 
翌朝は、雨で洗い流されたすがすがしいLjubljanaの朝。 Hotelをチェックアウトして旧市街めざして出かけてみると、市内をゆったりと流れるLjubljanica川の両側に設けられたいす・テーブル・日除けかさの下で、みなさんお座りで、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだり、おしゃべりをしたりと実に楽しそう。 市内の美しい町並みもすてきだ。 観光客もSlovenia国内からの観光客が多く、多くの人種を抱えたこの国のひとびとの様子を見るだけでも楽しい。  

ホテルをでるときに、Sloveniaの音楽のCDを買いたいのでCD屋を教えてほしいということと、どこかアコの実演するレストランはないかときいたら、観光局に問い合わせしてくれてようで、旧市街のなかのお店の場所を教えてくれたので、いってみたが、そこにCD屋は無かった。 でも、近所にあったので許す。 スロベニアのアコの演奏のCDの場所をたずねると、30数枚のCDがずらりと並んでいる。 すでにおなじみのAtomik HarmonikのCDもあった。 で、結局、そこにあったCDをほとんど全部、あわせて31枚ください、というと、さすがに女店員はびっくり。 正気の沙汰かと疑った様子はさすがに隠せなかった。 さて、CDは買ったし、そろそろFrankfurtに向けて帰ろうか、と通りでこれまたおいしいアイスクリームをコーンに2ボール頼んで、ところで、これがまためちゃおいしい、これをなめながらLjubljanica川のほとりまでくると、気のせいかどこからかかすかにアコの音が聞こえてくる。 雑踏の中で耳をすますと、なんとそれはあの感動の「v dolini tihi」なのだ。 そうか、あの曲は街中のラジオやBGとしてもやるほどポピュラーなのか、と一人納得しようとするが、そのメロディーがどこからでているのかわからない。 川沿いのカフェのスピーカーに耳をつけても鳴っていない。
 もしやどこかで演奏をしているのではないか、という期待感が急に広まるが、その音楽の流れてくる方向をむなしく探るだけで、どこにいけばいいのかがわからないもどかしさ。 やっと逢引の約束を取り付けた公爵夫人との密会に行く土砂降りの中、ぬかるみに馬車の車輪がはまってにっちもさっちもいかず、ずぶぬれになって馬車を押すベートーベンの映画のワンシーンが頭をよぎる。 彼は結局この逢引に遅刻して、公爵夫人との不倫は不成功に終わるのだが、自分もなにか100年の恋人との密会に間に合わないような焦りを感じながらも、その音の方向性を探っていると、どうも街の広場に市場のようなものが立っている。 その方向に向かって歩き出すと、なんとそのアコの音が徐々におおきくなるではないか。 もう、いても立ってもいられず、人ごみを掻き分けてその方角にもつれる足をひきずりながら小走りに向かうと、いました、若いアコ弾きと2人のギター伴奏が、まさにそれを聴きたかったスロベニアのアコの曲を元気よく演奏していた。 
Slovenian Young Musicians in Ljubljana TRIO ZDOMARJI
その演奏と音色は期待と想像をはるかに上回り、ダイナミック、軽快、のりのり、楽しい、そして元気がでる。
Slovenian Young Musician in Ljubljana TRIO ZDOMARJI(2)
一曲目が終わり、大拍手は私。 ほかの市場の観客はそこそこの反応。 いつも聴いているからでしょうか。 また一曲、その次も軽快にして楽しく、のりのりのアコ演奏が続く。 すばらしい。 悪天候と、濡れた霧の高速と、地図なしの不安な真夜中のドライブと、ずぶぬれのホテル探しとの苦労などなんとも感じなくなる感動のアコ演奏だ。 このためにSloveniaにはるばる寄り道をしてやってきてそれが思わぬところで聴けて、それもそこに導いてくれたのがあの「v dolini tini」の名曲だったのは何か運命的なものさえ感じて思わず感動してしまった。 
Slovenian Young Musician in Ljubljana TRIO ZDOMARJI(3)
Slovenian Young Musician in Ljubljana TRIO ZDOMARJI(4)
Slovenian Young Musician in Ljubljana TRIO ZDOMARJI(5)
Slovenian Young Musician in Ljubljana TRIO ZDOMARJI(6)

土曜日のLjubljanaは買い物客と観光客でにぎやかだ。 町中駐車違反だらけだけど、なぜか僕の車の近くで駐車取締りしているのに気がついたので、車を遠くに停めなおして、また急いで市場に戻る。 引き続きすばらしいアコの演奏。 ふと気がつくとこのアコグループのアシスタントかメンバーのガールフレンドか、若奥さんか、なんともチャーミングな女性が市場のほかの売り場の子供がミシンかけをして縫っている麦藁帽子の販売に協力して道行く人にその麦藁帽子を薦めたりしている。 美人なだけじゃなくて、心が優しく美しい。 こういう女性に男性は弱いのです。  アコ演奏を撮っているはずのデジカメの方向が別の方向に引かれそうになるのを抑えつつ、目では彼女の動きを追っている。 デジカメの映像が若干乱れる。 アコ演奏も休憩時間になったので、そこに不似合いな日本人のおじさんはアコ演奏家に声をかけて、日本から着ました、スロベニアのアコの音色が聴けて最高に幸せです。 なんて言っている。 CDを出したらぜひ買いたいので、知らせてほしいとお願いしてきました。 時間はすでに昼となり、 昼食の時間だ。 夜にはそこでアコのライブがあるといわれたレストランがその広場から近いところにあることがわかり、行って見ると、アコ生演奏などしたことない、とつれない返事。 それでも、その店で昼食を取ることにした。 バックグラウンドミュージックにかかっていた音楽は、これも聞き覚えのあるTurbo AngelesのRada Biの曲だった。 Atomik HarmonikとTurbo AngelesはいまどきのSloveniaでははやっているらしいことがわかる。 さて、注文したのは豚の胃袋の煮込みとポレンタ。 ちょっとゲテモノだが、なかなかおいしい。 ビールを頼んだら、これが自家醸造のビールでこれまた最高においしい。 本当においしい。 

でも、そんなもの飲んだら、今日はまずFrankfurtに向けて出発できないよ、と自分に言い聞かせるが、そんな話にかす耳をもたばこそ、とっくに出発していなくてはいけないのに、なぜかまったりとこの街の情緒に浸っている自分に気がつく。 いぁや、いいもんだなぁ、Ljubljanaは。 心からしみじみとそう思う。 で、Frankfurtには行かないわけね? と自分に問いただすが、すでに今朝Check outしたホテルにTelして今晩はお部屋は空いてますか? なんて聞いている。 マジかよ?! もう一泊したら、一日でFrankfurtまで走らなきゃならないぞー! 一日で900kmは走らなきゃならいぞー! といっても、時すでに遅し。 その店のとびっきりうまい自家醸造ビールの二本目を堪能している自分。 しょうがないやつだ! 単に感情に流されて生きているだけのだらしが無い男だ! と叱る自分と、これが人生。 人生は短い。 今をEnjoyしなくて、何が人生だ。 それもSloveniaやLjubuljanaに生きてこの次いつ来れるというのか?!という開き直りの声につい譲歩してしまう私。 そうと決まれば、あとはLjubljanaを味わいつくすっきゃない。 

おいしいビールと豚の胃袋をたんまり食べた後で、さっきの市場に戻ってみれば、土曜日の市場は昼でおしまいみたいで、だれもいない市場に空のテントが風になびいているだけ。 若いアコ演奏家も、その美しいアシスタントもすでにいなかった。 さっきまでの感動は夢か幻だったのか? と思えるほどの静けさだ。 そこにはいつもの静かで優美なLjubljanaの街と街中を静かに流れるLjubljanica川が流れているだけだ。 それだけに、土曜日の午前中の人でいっぱいのLjubljanaの街と午後の人が退いた後のLjubljanaの街の表情を見ることもできて、それはそれでよかった。 満面の笑みの美女も素敵だが、憂いを含んでうつむいた美女も素敵なわけです。 美しい街Ljubljana.。 そこで、旧市街をさわやかな6月の風にふかれながら散歩。 これもいい。 街の写真などを撮るうちに背後の丘の上にそびえる城壁と旗。 これは何だ、見に行くと四方を見渡せる丘の上に立つ古城。 ここが博物館やレストランになっている。 

この城をみてから丘をくだると、もう一軒CD屋を見つけた。 このCD屋の女店員がこれまた美人。 なんだかこの街の人は美男美女が多いと感じるのはなぜだろう。 なにをお探しですの? などと美しいブルーの瞳で目を覗き込まれるとどぎまぎしてしまう還暦のおじさん。 あの〜、Atomik Harmonikとかありますかぁ? としどろもどろに答えれば、あーら、そんなNowいもんよくご存知ですわね、などといっそう美しい笑みを返してくれると、もう顔面がかゆい。 SloveniaのアコサウンドのCDがほしいと伝えると、でも、それなら最近のヒット曲とかのCDのほうがお好みにあうかもね、とまたまさやさしく微笑んでくれるので、そうです、そのとおりなんですなどといっている私。 選んでいただいたCDはたしかに楽しいCDでした。 翌日、Frankfurtまでの900kmをLjubljanaで購入したアコサウンド聴きっぱなしでドライブできたのも最高にご機嫌でした。 
さて、最終日、今日はLjubljanaからFrankfurtまで900kmのドライブだ。 幸い天気は晴朗。 Ljubljanaからオーストリア方面に進路をとればアルプスの南斜面がすぐに迫ってくる。 サウンドオブミュージックのイントロの映像のような緑の牧場に高いもみの木、その後ろに万年雪の山々が迫ってくる。 アルプスの高速道路の景観の美しさは抜群だ。 昨日、美人のCD屋のお上から買ったCDがドライブをさらに楽しくしてくれる。 

ほどなくオーストリアに入り、第一回目の休憩所、メニューにはすでにアップルシュトルーデル(オーストリア風ホットアップルパイ)があり、これがおいしい。 もちろん食べました。 ミュンヘンを通過。 昼時にニュルンベルクに到着。 ここはただ通過するには惜しいほどの美しい中世の町並みと城壁を残す近代都市。 それよりも、なによりも名物のソーセージがある。 小指大のソーセージをかりかりに焼いて、ザウアークラウトと芋サラダで食す、これがおいしい。 これに超ドライなフランケンのワインがあれば最高だ。 ドライブも残すところあと400km弱。 またまた寄り道の悪い癖、いや、これが人生。 しかし、せっかく寄った名物のソーセージ屋は休みだったので、やむなく近所のレストランでそれを食べて、Non-Alkohlのビールを飲んで、あ、そうそうレバークネーデルというレバーの団子のスープ煮も食べました。これ名物でおいしい。 

それから先はまっすぐにFrankfurtを目指すはずが、なぜかアウトバーンが大渋滞。 一時間たっても動かない。 日がどんどん暮れかける。 カーナビがあるからと裏道を走ろうとするが、カーナビのセットの仕方がよくわからないので、かなりの遠回りをして渋滞をやり過ごし、再度アウトバーンに乗ったときはもう暗かった。 疲労もピーク。 居眠りをしないようにほほや膝をひっぱたきながら走る。 やっとつきました夕方の9時過ぎにFrankfurt郊外のワイン畑の中の村のホテル。 そこでの安堵の夕食とワインはこれまた最高においしかった。 無謀な寄り道はやっぱりしてよかった。 Sloveniaに行ってよかった。 もちろんイタリアのアコメーカーともまた交流できてよかった。 生きていてよかった。 あー、楽しい、あー、うれしい、アコーディオン彷徨の旅。 またやろう。 総走行距離2,700km。  

(2007.7.1 川井 浩)